セシルの女王アンは処刑?ウィリアムセシルとの関係は?

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こざき亜衣先生の『セシルの女王』は、『ビッグコミックオリジナル』誌で隔週連載中の歴史ロマン漫画です。

 

2024年9月時点で単行本は7巻まで発売されています。

 

この作品は、女王エリザベス1世に仕えた名臣ウィリアム・セシルの生涯と女王との強い絆を描くストーリーです。

 

エリザベス1世の父・ヘンリー8世は結婚と離婚を繰り返し、生涯に6人もの王妃を娶ったことで有名ですが、『セシルの女王』にはその6人全てが登場します。

 

そのうち2番目の王妃で、エリザベス1世の生母であるアン・ブーリンは、序盤の主役と呼べるほど出番が多く、印象的なキャラクターでした。

 

「略奪婚」「身の程知らず」の悪女イメージが強いアンですが、この漫画では意志が強く「かわいい女」になることを拒む強さや目力が魅力的で、「ファンになった」「読む前とはイメージがガラリと変わった」と人気の高いキャラクターです。4巻で非業の死を遂げますが、そのインパクトも凄まじいものがありました。

 

この記事は主人公ウィリアムの運命に最も強い影響を与えたアン・ブーリンにスポットを当てて、漫画では語られなかった一面や史実についてもたっぷりお届けします。

 

この記事には、本編や登場人物の史実ネタバレが多く含まれています。またアンの処刑シーンや当時の死刑事情などショッキングな部分にも触れていますので、ご注意ください。

『セシルの女王』は漫画アプリ『マンガワン』で全巻無料で読める?

『セシルの女王』は、こちらの小学館が運営する漫画アプリマンガワンにて全巻無料で読むことができます。

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『セシルの女王』2番目の王妃・アン・ブーリンと主人公ウィリアム・セシルの関係

この漫画では、少年時代のウィリアムが宮廷に奉公に出てアンと知り合い、交流を深め、それがアンの娘・エリザベスに仕え続ける最大の動機となっています。

はじまりは悪口! アンはウィリアムの運命の女性

初めてヘンリー8世に謁見した12歳のウィリアム・セシルは、父親に「絶対間違えるな」と念を押されたにもかかわらず、王妃の名前を「キャサリン様」と言い間違えてしまいます。

 

怒った王に首を絞められて死にかけ、父は公衆の面前で殴られて嘲笑され、彼の宮廷デビューは最悪でしたが、父は怒りもせずに「これが宮廷だ、慣れろ」と言うばかりで、ウィリアムは全てに幻滅します。

 

そもそも王妃が変わっていなければこんなことにはならなかった……と腹が立ち、思わず「アン・ブーリンのバッキャロー!」と叫んでしまいます。

 

「私が何かした?」「文句があるなら聞くわよ、坊や」と現れたのが大きなお腹のアン・ブーリン本人。『セシルの女王』ではこれが二人の出会いです。完璧な第1話、掴みバッチリの導入ですね。

 

怒らずにウィリアムを雑談に誘うアンは、顛末を聞いて笑ってしまいますが、すぐに謝ります。

 

「みんな羨ましいのよ。あなたがちゃんと傷ついているから」「(ひどい扱いをされたら)ちゃんと傷つきたいのに、ここではそんな簡単なことが何より難しいの」

 

お腹にウィリアムの頭を抱き寄せて、これから生まれる子の胎動を聞かせます。

 

「安心してウィリアム。王は死ぬわ」「そしてあなたが将来仕えることになるのは、この子」

 

その胎児こそが後のエリザベス1世。この出会いとこの言葉が、彼の運命を決定しました。

 

一見華やかでも、産まれた時から政略結婚のコマとなり、男子を産む家畜同然に扱われるのが王侯貴族や上流層の女性の宿命。

 

ウィリアムはその残酷さを痛感したからこそ、「アンの心を救いたい」「エリザベスを護りたい」と思い、そのために学び、政治の道に進み彼女たちを傍で支えられる男になろうと強く決意するのでした。

 

黄色のドレスの意味と真意は?

アンと王にとって最大の障害だった前王妃キャサリン・オブ・アラゴンは1536年1月に病死します。それを大喜びして祝賀パーティーを催す王に、流石に側近たちもドン引きです。

 

第二子妊娠中のアンがその席に黄色のドレスで現れたのは割合有名なエピソードで、こだか先生の創作ではありません。

 

『セシルの女王』ではウィリアムの父・リチャードが止めたのですが、アンが強く望んで黄色のドレスを選び、王以外の全員に呆れられていました。

 

キリスト教圏では古来黄色はユダの服の色に結び付けられ「裏切り・侮蔑・卑劣」などのマイナスイメージでしたが、当時のイングランドでは「祝福・栄光・幸せ」「安全祈願」などポジティブな意味を象徴する色で、喪中にはあるまじき色なのです。

 

キャサリン前妃の娘・メアリが憎しみにかられてアンを刺そうとしますが、リチャードの機転で止められ、周囲に気付かれずに未遂ですみました。

 

わざわざこの色を選んだ理由は、「今更いい子ぶるのは嫌だったの。それだけよ」と言うのみで、アン自身もはっきり語りませんでした。

 

前王妃の出自であるアラゴン王家の旗は黄色と赤の縞模様なので、リチャードはメアリがアンを襲い流血沙汰を起こして「黄色と赤」となることを狙ったのでは?とも考えますが、アンには一笑に付されました。

 

一方で、ヘンリー8世とアンの二人はアラゴンの黄色をまとうことでキャサリンへの哀悼への意を表現していたと記す文献もあります。

 

「私が何色を選ぼうと、人は自分の思いたいようにしか考えない」と語るアンは、「これからどう誹られようと我が子のために強い母となる」と自分を鼓舞するために、批判を承知で黄色を選んだのかもしれません。

ヘンリー8世に翻弄される人生

「アン王妃の子は男児に間違いない」と医師も占い師も太鼓判を押すので、ヘンリー8世も王子誕生を疑わず、生まれる前から名前を「エドワード」と決め、ポスターや触れ書き、名前入りのベビー用品を用意させて浮かれていましたが、生まれたのは女の子。

 

「E」のイニシャルが入ったベビー服や道具類を無駄にしないためだけに、王女には同じ「E」が頭文字の「エリザベス」と名付けられました。

 

ひどく落胆し、次こそ世継ぎ男子をと焦るヘンリー8世はエリザベスを一顧だにせず、産後ダメージの癒えないアンを暴力でねじ伏せてセックスを強要します。

 

生傷が絶えず衰弱するアンですが、周囲の敵に弱みを見せまいと、本当は喉を通らない食事をガツガツ食べては吐くような状態でした。ウィリアムに災いが及ばないように、わざときつい言葉を投げつけて遠ざけようともします。

 

父や兄からも「さっさと床入りして次の王子を孕め」と催促され、「まるで牛や豚ね」と自嘲しながらも、「あの男が私を抱くうちに」と耐えて再び懐妊。

 

この子は待望の男児ですが、結局は流産(かなりお腹が大きかったので時期的には「死産」が正しそうです)でした。

 

国王もクロムウェルもアンやブーリン家の利用価値に見切りを付け、ここから一気に転落が始まります。

 

かつてはあれほど熱く愛を囁いたヘンリー8世は幻覚や妄想にとらわれるようになり、でっちあげの密通疑惑を真に受けてアンを激しく打ちすえ、死罪を言い渡します。

 

自分で決めた運命、この結末も自分の決断の結果だと、アンは最後まで彼女らしく死を受け入れるのでした。

 

「B」のネックレスとエリザベスをウィリアムに託して……

 

ブーリン家の道具に徹し、ヘンリー8世に振り回され、非業の最期で閉じた人生でしたが、アンは命じられるままに生きた受け身の女ではなく、自分で決断し、男児を産むという賭けに乗ると決めたのも自分自身でした。

 

悲運にメソメソするヒロインではなく、自分の意思で始めた戦いだから逃げない、勝つしかない」と立ち向かう強さと潔さ。敵だらけの宮中で弱みを見せまいと気を張る中で、「あなたを笑顔にしたい」と一途なウィリアムだけには心を許す――その人間像が魅力的で、読み進むうちに気付けばアンを好きになってしまいます。

 

いい意味での自我の強さが、特に女性読者からの支持を集めているのでしょう。

 

ウィリアムとアン、史実の接点は?

監修の指先生がコメントしている通り、二人の出会いや交流に関する記録はなく、「王の衣装係」というウィリアムの父の職務をこだか先生がうまく利用したフィクションです。

 

ウィリアムの少年時代は、地元の学校で学んだ後に「14歳でケンブリッジに入った」こと以外の詳細は分からず、宮廷にまとまった期間出仕したというエビデンスも確認できないようです。

 

アンが処刑された1536年に、16歳のウィリアムはケンブリッジの学生としてロンドンで生活していましたから、行事などでアンの姿を見たことはあったかもしれません。

悪女?それとも悲劇の美女? 『セシルの女王』エリザベス1世の生母・アン・ブーリンのプロフィール

フィクション中のアンは、作者の解釈やストーリーによって悪女だったり、時代や社会の犠牲者として悲劇的に描かれたりと様々です。

 

アンについて調べれば調べるほど、『セシルの女王』では触れられなかった多彩な側面がわかってきます。

フランス帰りの才女! 本編以前のアンの史実プロフィールをご紹介!

ヘンリー8世が「フランスの話を聞きたい」とアンを呼ぶダシにしたり、色々な人から「フランス帰りを鼻にかけて」と悪口を言われていた通り、アンはフランスでさまざまな教養や宮廷文化・作法を学びました。

 

これには、彼女の父・トマス(それにしてもこの頃のイングランドって本当にトマスだらけですね)が外交官だったからこそ実現した留学でした。

 

1512年にトマスがスペイン領ネーデルラントに使節として赴いた際に、まだ小さいアンを遊学のために同行させます。

 

この地を総督として見事に統治した神聖ローマ皇帝の娘・マルガレーテ・ドートリッシュ大公女はとても優秀な人物で、芸術・学術の振興にも力を入れ、メヘレン(現在のベルギーの都市)に私設学校を開いていました。

 

アンは大公女の宮廷の侍女となるかたわらここに入学し、王族貴族の子女(後の神聖ローマ皇帝カール5世もいました)と共に学びます。小さいのに当時から語学力に長けていたようです。

 

父はこの学校で高い教養や国際情報、そして貴族女性の作法を学ばせて箔を付け、将来アンを王妃の侍女→名門貴族や王族の目に留まるコースを歩ませようと考えていました。

 

その後1514年にメアリ王女(ヘンリー8世の妹でジェーン・グレイの祖母)がフランス王ルイ12世に嫁ぐことになり、トマスはアンともう一人の娘メアリを王女の侍女として同行させます。

 

しかしルイ12世は結婚後わずか3か月後に病死したため、メアリ王女と侍女たちは帰国しましたが、アンは6年間フランス宮廷に留まり、フランスの先進文化やマナーとファッションセンスを身に着け、すっかり洗練されて帰国しました。

 

帰国理由は縁談のためでしたが、その結婚話とは別に、アンはヘンリー・パーシーという貴族と恋仲になったそうです。

 

しかしヘンリー8世がアンに興味を示したので二人は引き離され、アンはキャサリン・オブ・アラゴン妃の侍女として宮廷に上がります。

 

アンより1年早く帰国したメアリは既にケアリー卿と結婚していましたが、キャサリン妃の侍女から王の愛人となり妊娠するものの、漫画同様庶子としても認知されません。

 

アンの知性とフランス仕込みの気品に惚れて猛アタックするヘンリー8世ですが、飽きられれば切り捨てられるだけの愛人の立場の弱さを、アンは姉の姿で痛感しています。

 

ラブレターも豪華なプレゼントも全て突っぱね、「私が欲しいなら王妃にしてください、男の子を生んでみせますから」と豪語したアンに、ヘンリー王は更にのぼせ上りました。

 

アンと結婚するには現在の王妃キャサリンとの結婚をどうにか「無効」にしなければ……とローマ教会はじめ各所と闘った結果イングランド国教会が生まれ宗教改革に結び付いたことは、『セシルの女王』読者の方々には説明不要でしょう。

 

アンがヘンリー8世を受け入れるまでに7年かかったと言いますから、王の本気度と根気がうかがえますね!

 

実は多才で有能だった? 発見されたアンの愛読書も!

アンはフランス仕込みのセンスでファッションリーダーとなっただけでなく、多方面で才能を発揮した知的な女性だったそうです。

 

語学力は勿論、音楽好きで楽器演奏はもちろん作曲までこなし、詩作やダンスも得意でした。

 

ルイ12世の後に新フランス王となったフランソワ1世が「フランスルネサンスの父」と称されるほど芸術や文化を尊重したため文化最先進国となっていたフランス。その留学中に文化やセンスやたしなみの他にもアンは2つの重要な要素を学びました。

 

1つは、マルガレーテ大公女をはじめ、優秀な女性為政者に接した経験です。

 

フランスでも、フランソワ1世の母・ルイーズは摂政役を見事にこなし、王の姉マルグリットも政治をサポートしていました。

 

多感な少女期に彼女たちのように有能な王族女性を目にし、これからの女性は知性で勝負して意見を表明し、政治に関わっていいのだと肌で学んだアンは、王を相手に学問や聖書の内容について議論し、渡り合える女性となりました。

 

もう1つがプロテスタンティズムです。

 

当時のフランスは宗教改革のただ中でした。免罪符問題やルターの本格的な活動開始がまさにリアルタイムで展開していた時期なのです。

 

フランソワ1世も(自身はカトリックでしたが)ローマ皇帝と対抗するためヘンリー8世とも組んで脱カトリックを推し進めるフランスで過ごし、アン自身も福音派としての強い信仰を持つようになりました(クランマー大司教から「仲間」として扱われていたのもこのためです)。

 

敬虔な信者としてのアンが常に傍に置いた愛読書の一つが時祷書(じとうしょ)でした。

 

一日に数回、TPOに合わせて祈りを捧げる一般キリスト教信者のために「この時刻、こういう場面ではこの言葉を読んで祈る」と示すハンドブックのような本で、祈りの言葉の他に聖歌や聖人の誕生日リストなども収録されていました。

 

15世紀頃から量産され、庶民はごくシンプルなものを、貴族や富裕層は挿絵や装丁が施された豪華な時祷書を所持していました。

 

アンの時祷書は1527年頃に多色印刷されたもので、美麗な手刷り木版画が添えられていて、その余白にはアンの署名付きの肉筆で短い詩のようなフレーズが書き残されています。

 

アンの処刑と同時に彼女の蔵書やコレクションはほとんど処分され、この時禱書も同時に失われたとされていましたが、20世紀にアメリカの富豪がブーリン家の居城・ヒーヴァー城を買い取った際に発見されました。

 

この時祷書は密かに王宮のワイン蔵管理者の妻に託され、彼女の親族の女性たちが処罰を恐れずに代々受け継ぎ、秘密裏に守られていたのです。その事実は、時禱書の余白に書き込まれて一度は消された彼女たちの名前の一覧メモが最新技術で発見され、明らかになりました。

 

アンの実家・ブーリン家とは?

ブーリン家は4代前までノーフォークの自営農家でした。

 

アンの曽祖父・ジェフリーは優秀な人物だったらしく、見習い毛織物工としてロンドンに出てたあと事業を成功させ、ロンドン市長に大出世してブーリン家の基礎を築きました。

 

その子がナイト称号を得て、貴族との婚姻を経て貴族社会に入り、家格や地位を高めましたが、わずか3代の新興貴族で特筆すべき財力もなく、結婚で築いた人脈以外に強みの薄いブーリン家の立ち位置はとても不安定です。だからこそ父も兄も娘を王族に嫁がせ、男児を産ませようと躍起になっていました。

 

ブーリン家の記録はジョージの刑死で断絶したせいで史料が乏しいためか、一族の生年がはっきり確定していません。

 

特にアンの生年は1501年・1507年・1509年など複数の説があり、三名の姉妹どちらが上か、ジョージが兄か弟かは、フィクションのみならず学術論文でも異なっています。

【父親】トマス(1477?~1539)

『セシルの女王』では実務面には触れられていませんが、実際は語学堪能で優秀な外交官として重用され、名門ハワード家との結婚もあって出世します。

 

諸外国に使節や交渉役として赴いたり、王族が他国に嫁ぐ際には同伴したりと飛び回り、フランス大使としても3年駐在し、彼の職務がアンの留学の絶好の機会でした。

 

アンとジョージの裁判に際して弁護や助命活動は一切行わず、自身の処刑も免れましたが、宮廷から追放されて故郷で失意の晩年を送ったそうです。

【母親】エリザベス・ハワード(1480?~1538)

名門ハワード家の出身で、ノーフォーク公の妹である彼女との結婚がトマス・ブーリンの出世の大きな足掛かりとなります。

 

美しく教養もあり、3兄弟の幼少時の教育を自身で行っていたそうです。

 

出産後も宮廷に出仕を続け、キャサリン・オブ・アラゴンの侍女時代にヘンリー8世の愛人だった噂については後述します。

【姉or妹】メアリ(1499?~1543)

『セシルの女王』ではアンの姉として設定され、1巻の回想シーン以降出番がありませんが、実は最も長生きしました。

 

少女期にはアンと共にフランス宮廷に渡っていましたが、先に帰国し、 ウィリアム・ケアリー卿(1495?~1528)と結婚後まもなくヘンリー8世に求められ、愛人となりました。

 

肖像画を見る限り、つぶらな瞳で色白、髪色は明るめで、ふっくらした頬……と、当時の美人の条件を全部詰め込んだような容貌で、「メアリは文句なしの美女だがアンは普通」としばしば評されています。

 

子供を二人出産しましたが、作中通り王は庶子としても認知しなかった(二人のうちどちらか、または両方王の落胤らしいのですが)ので、どちらもケアリー家の子として扱われました。

 

娘のエリザベスは長じて4人目・5人目の王妃の侍女となった後、エリザベス1世に仕えました。

 

長男ヘンリー(それにしてもこの経緯で「ヘンリー」って付けるのすごいですね)はエリザベス1世に重用されて男爵に叙され、様々な劇団やシェイクスピアのパトロンとなって、イングランドの演劇界を大いに発展させました。

 

ケアリー卿の病死後に、メアリは軍人ウィリアム・スタッフォードと恋愛結婚し、2子を為します。

 

スタッフォードの家柄は没落貴族で、ブーリン家的な旨味が皆無のため実家から距離を置かれたそうですが、かえってそのためにアンの処罰に巻き込まれずにすんだようです。

 

メアリの子の血筋からは名相チャーチルや、エリザベス王太后(ジョージ6世妃)、ダイアナ妃、チャールズ・ダーウィンなど多くの著名人が生まれています。

【兄or弟】ジョージ(1504~1536)

『セシルの女王』ではアンの兄ですが、他作品では弟としての設定も多いようです。

 

作中ではアンに依存するだけのロクデナシでしたが、実際は父親同様語学に堪能で学識も高く、外交官を務め、宮廷ではとてもモテたそうです。

 

逮捕後は混乱してアンを襲おうとした最悪の兄ですが(未遂でよかった)、最後の最後に「俺だってこんな人間になりたくなかった!」と訴える魂の叫びには憎み切れないところもありました。

 

他の罪人同様斧で斬首されますが、斬首人がヘタだったのかそれともわざとか、7回も斬られそこなって苦悶の表情で死ぬ処刑シーンは凄惨でしたね。

 

【兄嫁or弟嫁】ジェーン・パーカー(1505?~1542)

ジョージの妻。『セシルの女王』には登場しません。

 

この嫁、なんとアンとジョージの裁判で「夫とアンは兄弟の域を超えて親密だった」「アンの部屋に入り浸りだった」などと、近親相姦説を裏付ける証言をします。

 

立場的にブーリン家を追い込んで得があるようにも思えないのですが、アンチブーリン派と何らかの取引があったのかもしれません。

 

また、夫との不仲説や、個人的にアンが大嫌いで夫との仲の良さに嫉妬していたという説もあります。

 

ブーリン家没落後も何やらうまく立ち回ったようで、部屋持ちの上級女官として高額な年金も保証され、けっこう優雅な生活をしていたそうです。

 

その後ジェーンは王妃キャサリン・ハワードの侍女になるのですが、彼女とカルペパーの密会を手引きした罪でキャサリンと共に処刑されました。

 

世渡りがうまいのかヘタなのか、イマイチよく分からない女性でした。

アンの首飾り情報!本当にヘンリー8世のプレゼント?実在する?

『セシルの女王』では、ヘンリー8世からアンに贈られたイニシャル「B」の印象的なネックレス。アン・ブーリンを象徴するこのアイテムは現存するのでしょうか? 調べてみました。

エリザベスに受け継がれた「B」のネックレス

作中では、ヘンリー8世のプレゼントを拒み続けるも根負けしかけたアンが、キャサリン王妃らが「ブーリン家は母も子も王にたかる娼婦」と嘲笑う様子にショックを受け、半ば衝動的に窓から飛び降りようとします。

 

その下に居たのはネックレスを捧げる宮廷道化師のソマーズでした。

 

アンが腹を決める重要なシーンであり、受け取るネックレスも物語のキーアイテムです。

 

「B」のネックレスは有名な肖像画でアンが着けているものです。王は「イタリアの流行」と言っていましたが、実際に頭文字のアクセサリーは流行っていたそうです。

 

『セシルの女王』では、処刑前のアンがジェーン・シーモアを信じてこのネックレスと手紙をウィリアムに託し、ピーター・レンを経て受け取ったウィリアムからエリザベスへと譲られます。

 

幼いエリザベスは無邪気に母の形見の首飾りを好み、ウィリアムの制止を無視し、首にかけていました。

 

それを見てメアリは顔をしかめ、ヘンリー8世は気分を害してネックレスを引きちぎってしまいます。

 

自分の母も、その娘である自分も皆に憎まれていると知り、傷つくエリザベス。

 

「それを見ると皆が思い出すのでしょう。自分たちがその方に”何”をしたのか」

 

ウィリアムは、アンは決して魔女ではなくイングランドの正統な王妃であり、その娘のエリザベスの立場を回復し、女王とするために自分がいると伝えます。

 

後に彼は壊れたネックレスを修理し、チャーム部分の「B」の形をうまくカモフラージュしてエリザベスに渡します。

 

母子の絆であるネックレスは、7巻で肖像画モデルとして装ったエリザベスの首にかかっていましたね。

首飾りの実物はどこで見られる? レプリカの入手法は?

「B」のチャームと大きな涙型真珠が3粒あしらわれた豪華なチョーカーはアンのシンボルアイテムであり、ドラマや映画のアン役もよく装着していて、視聴者も「この人がアンなんだな」とすぐに分かります。

 

いかにも実物がありそうですが、調べた限り残念ながら現存している物はなく、博物館などでの展示もないようです。

 

ただし、ヒ―ヴァー城やハンプトン・コートなどアンやテューダー朝ゆかりの史跡や周辺のショップでは、土産物としてレプリカが販売されていますし、ネットショップでも買えます。けっこうポピュラーなんですね。

 

衝撃の処刑シーン!無実の斬首と冤罪の真相は?

アン・ブーリンは単行本4巻で処刑されます。想像を超えた容赦のない斬首シーンに驚いた読者も多いですよね。

 

何故ギロチンではないの? 斧って野蛮過ぎない? など、アンの死に至る罪状や当時のイギリスの処刑事情も併せて調べてみました。

冤罪盛り過ぎ? アンの罪状と実態

アンに被せられた罪状は「国王(及びメアリ王女)の暗殺計画」「不義密通」「近親相姦」「魔女の術を用いた」疑いでした。

 

実際にメアリには過去に毒殺未遂事件もありました。一部侍女や元恋人ヘンリー・パーシーは「アンがメアリへの殺意を語ったのを聞いたことがある」と証言したそうです。

 

また、魔女や魔術を持ち出せば何にでも結び付けられます。落馬事故後の王の体調が思わしくないのも魔術のせい、果てはアンの流産死産も魔術を使った報い――と、もはや何でもアリ状態でした。

 

作中では、アンとの不倫相手リストはウィリアムやピーター・レンまでも含めた7人ですが、実際には以下の5人(ジョージ・ブーリンを除く)だそうです。

 

・マーク・スミートン(楽師)

・ヘンリー・ノリス(玉璽保管官:アンが愛人のノリスに合図としてハンカチを落としたという噂が残っています)

・フランシス・ウェストン(国王近習)

・ウィリアム・ブレレトン(宮内官)

・トマス・ワイアット(詩人:宮廷入り前のアンと恋仲だったと言われていた)

 

この中で、唯一トマス・ワイアットのみクロムウェルの旧友というコネで死刑を免れました。

 

またウィリアム・ブレレトンは裕福な人物で、ジョン・ダドリーなど多くの貴族が彼に多額の借金をしており、クロムウェルが接収を望んだ土地を所有していたため、借金を合法的に踏み倒して領地を召し上げるために死罪をなすりつけられたとも言われています。

 

反ブーリン派にとって「死んでくれたら助かる」人物を、この機に乗じて始末した側面もあり、でっち上げの冤罪で殺された男性たちも気の毒です。

 

どうしてアンは殺されなければならなかった?

これはもう、残酷ですが「アンが賭けに負けた」、つまり「ヘンリー8世の寵愛が冷めるまでの間に男児を産めなかった」に尽きるのでしょう。

 

そこに関しては前王妃キャサリンも似た境遇でしたが、彼女には「スペインの王女」という強力な出自と後ろ盾を持ち、ローマ教皇の叔母でもありました。

 

もし邪魔だからと殺せば、スペインとの国際問題どころか絶縁となり、イングランドの失うものが多すぎます。だからこそ離婚も難航したわけです。

 

対してブーリン家は伝統が浅く宮廷内外に敵も多い新興貴族ですから、切り捨てたところで痛みはありません。

 

そしてアンとの結婚に際して、ヘンリー王は「前王妃が生きて宮廷に存在している」状況がどれほど面倒か、よく思い知っていたことでしょう。

 

1501年生まれ説をとってもアンはこの時35歳。若くはなくともまだ妊娠可能な年齢ですが、ヘンリー8世が「もう要らない」と思えばそれが全てなのです。

 

もう一つは、アンが政治や宗教関係に口を出したことが災いし、「出しゃばり王妃」と疎まれ、見切られたとも言われています。

 

少女時代にマルグリット大公女らが政治の舞台で王を補佐する姿を学んで育ったアンには、王妃が国のために行動するのは当然のことで、前王妃キャサリン・オブ・アラゴンもまた王の不在時に執政を代行したことがありましたから、単に王妃として彼女に倣っただけかもしれません。

 

クロムウェルは新法を作ってカトリック修道会から取り上げた土地や財産をジェントリなどの富裕層に分け与え、彼らを味方に付けつつカトリック離脱とプロテスタント化を図り、大いに功を奏しました。

 

しかしプロテスタンティズムを理想実現のためのツールと割り切って利用していたクロムウェルとは違い、真面目で真っ当な信仰を持つアンは、「教会の財産は福祉や貧民の支援に使うべき」と、クロムウェルを批判したこともあったそうです。

 

対立の折に国王がアンの肩を持つこともあり、クロムウェルは危機感を覚えます。彼もまた王の信望だけが頼りの平民出身ですから、こうなるとクロムウェルも共闘を止めてアンを排除しない理由はなく、それは造作もないことでした。

 

そしてアンとジョージに被せられた罪は、どれも単一で死刑相当の重罪ばかり。多少恩赦を付けようがせいぜい処刑方法が変わる程度の違いでしかなく、二人を殺して排除するのはもう決まっていたことなのです。

 

もし何らかの減刑取引があったとしても、それはアンを普通の身分に落とし、エリザベスの王位継承権どころか認知自体を取り消すような内容が予想されます。

 

アンは結局処刑前に婚姻を無効にされていますが、見苦しくあがかず「王妃として死に、エリザベスの身分を『王妃の子』に保つこと」だけが最後の母としての仕事であり、唯一娘に遺せるものだと考えたのでしょう。

閲覧注意! 斬首シーンと当時の処刑事情

史実同様、アンは鋭い両刃の剣で斬首されます。イングランド史上初の「刑死した王妃」でした。

 

当時のイングランドでは斬首には斧を使っていましたが、アンの処刑にはわざわざフランスから腕利きの処刑人を呼びました。

 

フランス革命で有名なギロチンが考案されるのはまだ先の話ですが、フランスは処刑制度の面でも先進国で、斬首刑は処刑専用の剣で執行されていました。ピンポイントで骨の継ぎ目を斬らなければならないのでより高い技量が必要ですが、斧より鋭利で確実に死に至らしめ、仕損じた時の苦痛を与えずに済むからです。

 

これはアンが斧での斬首を嫌がり懇願したからとも、王の最後の温情とも言われていますが、処刑人の移動時間が発生したため、ジョージ達よりも二日ほど処刑が遅れました。

 

『セシルの女王』の中では、「ウィリアムがアンの最期の時に駆け付けられるように」とジェーン・シーモアが案じ、時間稼ぎの手段として剣での処刑を王に提案した結果でした。

 

時間を稼いであげたり、形見のネックレスを届けたりと、処刑決定後のジェーンはアンの心に寄り添う言動が印象的でした。

 

フランスから来た処刑人はアンの細い首を見て「このまま首筋を伸ばしていてくれれば一瞬で終わるんだが」と心中で呟きます。

 

首がまっすぐなら一撃で苦痛なく首を落とせますが、曲げたりすくめれば達人でも一発で決めるのが難しく、激痛にのたうち回らせてしまうからです。

 

落ち着き払ったアンでしたが、やはりその瞬間となると反射的に身が縮んでしまいます。

 

その瞬間、宮廷道化師ソマーズが「ウィリアム・セシルが来たぞ!」と叫びました。

 

ここに来れば彼も捕らえられ処刑されてしまいます。驚き振り向いた瞬間に、伸びた首筋に処刑の剣がひらめき、アンの頭部は見事に両断されて宙に舞いました。

 

「嘘です」というソマーズの声を聞いたアンの首は、既に胴体と離れているにもかかわらず「よかっ(た)……」と呟き、ウィリアムの無事を知って笑顔で事切れます。

 

実際の処刑の場でも「斬り飛ばされたアンの首は口を動かして何かを語ろうとしていた」と伝わっており、そのエピソードを組み込んだのでしょう。

 

アンが処刑された場所はロンドン塔内のタワー・グリーンと言われていますが、他の場所説もあるようです。

 

ところで作中では楽師のスミートンが馬から四肢を引かれて体を引き裂かれる刑、ジョージはじめ他の男は斧での斬首でした。

 

当時のイングランドの法では、大逆罪を含む極刑は「首吊り・内蔵抉り・四つ裂き」でした。どれか一つを選ぶのではなく、「三つ全部」がセットなのです。

 

まず死ぬ寸前まで首を絞め、次に生きたまま内臓を抉り出し、性器を切り落とし、斬首の後に馬や牛に手脚を引きちぎらせるという残虐なもので、貴族や王族は「特権や温情として」斬首が許されていました。この三点セットの極刑に比べれば、斬首はまだ平穏な方法だったのです(なお実際にはスミートンは不義密通を認める証言をしたので減刑され、斬首だったそうです)。

 

アンもまた、魔女という罪に照らせばジャンヌ・ダルク同様火炙りが相応でしたが、身分や温情を考慮し減刑の結果斬首に処されたという説もあります。

アン・ブーリンの最期の言葉は?

『セシルの女王』本編では、アンは静かに刑場に赴き、セシルへの想いを心中で呟くのみで、その場の人々に対しては何も言い残していません。

 

当時の処刑では、罪人は観衆(多くは公開処刑で、群衆が集まっていました)へ最期の思いの丈を語る権利が認められており、処刑という名の庶民の娯楽ショーのクライマックスでした。

 

ロンドン塔週間後のアンは、極度の恐怖とストレスからか躁状態と鬱状態を繰り返したり、刑場への道のりでも妙に陽気だったりと不安定で、狂乱状態だったとも言われています。

 

ロンドン塔長官・キングストン氏が「処刑に痛みは伴わないはずです」と慰めると、アンは「フランスの処刑人は達人ですものね。それに私の首はとても細いですから(きっと切りやすいでしょう)」と答え、ゲラゲラ笑ったという話も残っています。

 

しかし処刑直前のアンは落ち着き払い、エドワード・ホール(チューダー王朝年代記の編纂者)によれば、最後の言葉としてこう呼びかけたそうです。

 

「善きキリスト教徒のみなさん、私は死の裁きに従い、死ぬためにここに来ました。

 

それについて述べたいことは何もありません。私は誰かへの非難や訴えのためこの場に来たわけではなく、賜った死への抗議を行うつもりもないのです。

 

けれども、神が王を護り、その御世を長く栄えさせてくださるように祈ります」

 

王妃らしい気品を備えて厳粛に語る様子に、魔女の処刑を見に来た野次馬たちも大いに感動したそうです。

 

また、前項で触れたアンの時禱書余白には「祈るときは私を思い出してください、希望が日々を導きます」という詩が書き込まれており、娘であるエリザベスへの遺言とも目されています。

アン・ブーリンのお墓はどこにある?

ロンドン塔内の聖ピーター・アド・ヴィンキュラ礼拝堂(刑場だったタワー・グリーンの正面にある教会)の墓所です。

 

アンには棺さえ用意されず、斬首後の遺体は兵士が使う矢の箱に放り込まれて埋められ、葬儀も行われなかったといいます。

 

さまようアンの幽霊? 『グリーンスリーブス』はアンの歌? 美女じゃないって本当? 伝説と噂5選!!

「ロンドン塔にアンの幽霊が出る」など、アン・ブーリンに関する多数の噂や言い伝えを集めてみました。

ロンドン塔の怪談! アンの首無し幽霊の噂について?

『セシルの女王』を読むと、ロンドン塔=牢獄・刑場・晒し首の場所というイメージが固定しますよね。

 

実際には王族の居処・教会・兵器管理所・即位宣言を行う神聖な場所……と様々な機能を持つのですが、とにかくここに捕われたり処刑された人間が多いので、『●●が化けて出る』という怪談が山ほどあります。

 

その中でも『切り落とされた自分の頭を抱えたアン・ブーリンの幽霊がロンドン塔を徘徊する』噂は最も有名です(本編でも人々の口にのぼっていました)。アンの処刑直後から囁かれていた首無し幽霊話は、彼女の実家であるヒーヴァー城にも残っています。

 

なお、5番目の王妃キャサリン・ハワードや7巻から登場したジェーン・グレイ(二人の墓所もアンと同じ場所です)もロンドン塔幽霊伝説の一つであり、とにかく非業の死に由来した怨霊話に事欠かない場所なのです。

母親もヘンリー8世の愛人だった?

アンの母・エリザベスは美しく魅力的だったこともあり、実際にそこそこ有名な噂だったようですが、もちろん根拠はなく、ヘンリー8世自身も否定しています。

 

噂の出所は主にカトリック派です。彼らは敬虔なカトリックだったキャサリン前王妃を蹴落としたガチ福音派のアンを憎悪し、「娼婦」と罵って憚りませんでした。

 

特に王妃即位前に「アンは王妃にふさわしくない」「二人の結婚は不当」と強弁し、親プロテスタントのブーリン家を排斥すべく、いくつものゴシップを流したようです。

 

後述するニコラス・サンダーに至っては、愛人説どころか「アンはヘンリー8世とエリザベスの間に出来た子供」であり「この結婚は父と娘のあるまじき近親婚」と断定的に自著で叩き、カトリックの聖職者や信者の間では定説化していたそうです。

 

王が以前寵愛した愛人エリザベス・ブラント(男子も産んでいました)と同名の「エリザベス」なので、意図的に混同して作ったスキャンダルとも言われています。

名曲『グリーンスリーブス』はアンを歌った曲?

『グリーンスリーブス』は、音楽の教科書や保留メロディで日本人にもおなじみの名曲ですが、作曲者は不明で、恐らく民間で伝わった旋律に、後から歌詞が付けられて歌われ、普及したのだろうと言われています。

 

現在もっとも一般的なのは「Alas, my love~」で始まるバージョンで、かつての恋人である緑の袖の女性(あるいは「グリーンスリーブス」という異名の女性)にフラれた男が未練と愛を語りかける歌詞ですが、これが「ヘンリー8世がアンをイメージして作詞作曲し、贈った曲」という伝説があるのです。

 

歌詞の「cast me off discourteously(非情にも私の愛を投げ捨てた)」の部分が、アンが王の求愛やプレゼントを拒み続けたことを指すいう解釈です。

 

このヘンリー8世作曲説はイギリスではかなりポピュラーのようで、フィクションに登場するアン・ブーリンがよく緑のドレスを着ているのもその影響なのでしょう。

 

ヘンリー8世もアンも音楽を好み、演奏だけでなく作曲も行う文化人カップルだったからこそ生まれた伝説のようですが、現在では、「この歌詞(または曲の形式)は、二人の没後に普及したものなので、時代的にあり得ない」というのが定説だそうです。

 

なお、アンの作った曲の楽譜は蔵書類と共に廃棄されてしまい、残念ながら現存していません。

 

ただし、アンが留学中から死の直前に至るまで、好んだ曲を随時書き足した楽譜帖が近年発見され、それを演奏したCDが発売されています(グリーンスリーブスは未収録)。

実は美人じゃなかった? アン・ブーリンの容姿について

フィクションでは美人女優が演じ、漫画や絵画でも美しく描かれることの多いアンですが、彼女を美女と讃える史料はあまりなく、代わりに「凡庸な容姿」と記したものは複数見つかっています。

 

肖像画のアンは、髪は黒に近い暗めのブルネットで、顔も体もほっそりやせ型です。

 

対して当時の美人の基準は金髪美肌で、ちょっとふっくら豊満系。バストの大きさも重要視され、骨ばった女性はあまり好まれなかったようです。

 

アンの美点は容姿よりも、フランス仕込みのファッションセンスや洗練された立居振舞い、そして芸術や文化への造詣と、教養・知性にあったのでしょう。

 

アン不美人説の根拠の一つは、1530年頃に当時ベネチア大使だったサヴァログナーノというフランス人が残した記録です。

 

「彼女は、世界で最も美しい女の1人とはいえない。中肉中背、浅黒い顔色、首が長く、大きな口、胸も大きいとは言えないが、その黒く美しい瞳に国王がご執心なのは事実である」「王が執着している事実以外に見るべきところはない女性」「(まだ王妃でもないのに)いつも王に同伴し、王妃のように振る舞っている」とも書かれています。

 

目以外はケチョンケチョンですね。

 

もう一つは、カトリック神学者ニコラス・サンダー(サンダースとも)の記述です。

 

「比較的高身長」「黒い髪」「面長の顔は黄疸経験者のように浅黒い」「上側に大きな出っ歯が一本ある」「顎の下にある大きなイボ(または腫瘍)を隠すために常時高い襟の服を着ている」「プライドが高く野心家で、嫉妬心も強い」と、不美人要素をこれでもかと並べています。

 

サンダーはカトリックの神学者(後に司祭)で、前述の「アンの母もヘンリー8世の愛人」「アンは二人の落胤」と書いたのもこの人です。

 

現在では、この記述はカトリック側の悪意が盛り込まれ過ぎであり、そもそもサンダーがアン王妃に直接拝謁した記録が確認できない上に出版もアンやヘンリー8世の死後、つまり直接姿を見たこともなく誹謗したものとして、信ぴょう性が疑問視されています。

 

サンダーはエリザベス1世と対立したため、生母アンへの誹謗でエリザベスをも同時に貶める意図があったとも言われています。

 

当時のヨーロッパでは、ホクロや痣・欠損など標準的でない先天的な身体特徴は呪いや悪魔の印として忌避されていたので、これらの記述でアンをとことん貶めようとしたようです。

 

どんな美女もよりどりみどりで目が肥えていたヘンリー8世が、わざわざそこまで奇怪な容貌のアンを選んで寵愛するだろうか? という疑問も湧きますし、当時の民俗的な記録に何も残っていないのも不自然ですね。

 

ただ「肌が浅黒い」のは両者に共通しているので、色白ではなかったのでしょう。

 

なおこのサンダーでも「アンは宮廷貴婦人のモデルで憧れの的である。彼女の装いがいつもファッショナブルで、毎日何か新しいスタイルを編み出しているからだ」と、独創的なファッションリーダーであることは認めているのでした。

アンの指は六本あった?

アンは多指症で、手の小指の横にもう一本指があったという説があります。

 

古今東西、多指症の有名人は意外にいて、日本では豊臣秀吉が6本指だった話が有名ですね。

 

この噂の出所は、またしてもニコラス・サンダーで、前章で列挙した誹謗的な容姿描写に「左手には指が6本ある」とも書いてあるのです。

 

真実ならば流石に服や化粧で隠せるものでもなく、他の史料にも書き残されていそうなものですが、6本指の話はサンダーの本にしかありません。

 

ジョージ・ワイアット(伝記作家)がアンの元従者に行った取材によれば、「右手小指に数個のホクロと余分な爪があった」が、「六本指ではなかった」そうです。

 

また、19世紀にロンドン塔のアンの埋葬地周辺を発掘し遺体の調査が行われた際、すべての遺体に6本指の痕跡は認められなかったので、現代では王妃憎しの捏造説が濃厚です。

 

もっと知りたい方向け! 「SIX」などアンが登場するフィクション7選!

ヘンリー8世~エリザベス1世の治世は、ヘタなフィクションが霞むほど愛憎陰謀流血何でもありでドラマチックなため、ヨーロッパではメジャーな題材の一つです。

 

数多い「テューダーもの」でも、制作者のスタンスや解釈によってアンも悪女だったり悲劇のヒロインだったり、ブーリン兄妹の順序が違っていたりと様々に違っています。

 

古典の域の名作映画から連続ドラマ、話題のミュージカルまで7作品を集めてみました。(タイトルの後に公開年とアン役の演者の名前を添えています)

ミュージカル「SIX」(2017年~:アシュリー・ウィア<オリジナル>/田村芽実・皆本麻帆<日本版>)

ケンブリッジの学生二人が制作・上演し、好評を博して、ウェストエンドを皮切りにアメリカやオーストラリア・韓国など多くの国で上演されました。

 

2025年には来日公演・および日本版の公演が決定しており、『セシルの女王』7巻帯でもコラボ企画の予告などがありました。

 

ストーリーは、現代風のライブコンサートの舞台上で「ヘンリー8世の歴代王妃6人が集結し、リードボーカルの座を競う」という奇抜な趣向です。

 

主役を決める要素は「最もヘンリー8世から過酷な仕打ちを受けた王妃」であること。

 

かくして各人が「自分の人生ダイジェストを組み入れた不幸プレゼン曲」を歌い上げるバトルが繰り広げられます。

 

衣装も曲も現代風で、元来重いテーマを歌いつつ全体的にコメディタッチでステージが進みます。最終的に「ヘンリー8世にとってどんな女性だったかではなく、自分の本来の『個』を尊重しよう」と連帯する終わり方が爽やかで、とても今日的です。

 

アン・ブーリンのソロ曲は『Don’t Lose Ur heads』(Urは「Your」のスラング的略記)。

 

意味は「我を失わないで→そんなにムキにならないで」ですが、直訳すれば「あなたの頭を失わないで」で、もちろん断頭処刑されたアンの最期とのダブルミーニングです。

 

アンはモテモテかつ軽率系のインフルエンサーで、発言や歌詞が全てSNSへの投稿(時々ネットスラングが混じります)風です。

 

最初は「王様私に首ったけで、悪い気はしないけどなんか重いんだよね~ 我を失うほどマジ惚れしないで」と手玉に取り、また前王妃や王の性的能力へのDisがバズって炎上しても「やだもう、そんなにマジで怒らないで」とナメた態度(でいるうちに最終的に自分が首を失う)。

 

「王様が他の女とばかり寝るんだったら私も遊ぶもんね」と、浮気や姦通に関しては「実際にしていた」解釈になっています。

 

6人の王妃の知識があるほど深く楽しめる作品なので、「SIX」の予習、あるいは観劇後にもっと深く当時を知りたいという方にも『セシルの女王』はオススメです。

映画「わが命つきるとも」(1966年:ヴァネッサ・レッドグローブ)

アカデミー賞では総合作品賞・監督賞・脚本賞を含め6部門で受賞しました。

 

主役はアンではなく、「ユートピア」の著者として教科書でもおなじみの思想家トマス・モアです。

 

『セシルの女王』本編では僅かに触れられただけですが、彼はトップ官僚に昇りつめながら、王の離婚問題を真っ向から批判し、王が国教会の主となる「国王至上法」を認めなかったため、大逆罪で処刑されました。

 

この映画では権力に屈しない彼の信念に満ちた生き方が主題なので、アンは分かりやすい悪女ポジションで出番自体も少ないですが、フィッシャー司教のように信念を貫いた人々生き様を知りたい人におすすめの名作です。

映画「1000日のアン」(1969年:ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド)

アカデミー衣装デザイン賞を受賞(その他10部門にノミネート)しています。

 

ヘンリー8世からアンへの求愛~アンの処刑までを描いた作品で、不倫・近親相姦などのテーマが当時のハリウッドの倫理コードに触れたため、発表まで大分時間を要したそうです。

 

姦通や近親相姦に関してはでっち上げの無罪として描いています。

映画「ブーリン家の姉妹」(2008年:ナタリー・ポートマン)

同名小説の映画化。タイトル通り、アンとメアリのブーリン姉妹を主軸に置いた話(この映画ではアンの方が姉)です。

 

ブーリン家はアンをヘンリー8世に差し出そうとしますが、王が見初めたのは妹メアリの方で……と話が始まり、姉妹で寵愛を争うドロドロ展開が進みます。

 

妹に全力で嫉妬するアンを演じるナタリー・ポートマンの迫力が凄まじいのですが、愛憎劇の中にも当時の宮廷や貴族社会の残酷さ、そして最終的には姉妹の絆も描かれます。

 

この映画では、アンの浮気や近親相姦は「あった」ことになっています。

ドラマ「THE TUDORS-背徳の王冠-」(2007~2010年:ナタリー・ドーマー)

ヘンリー8世がアンと出会う頃~王の死までを描く連続ドラマで、アンはシーズン1~2に登場します。

 

制作指揮のトップが「求められたのはソープオペラであって史劇ではない」と言い切った通り、フィクション成分が多いだけでなく、人物の年齢・事件の時系列までも大胆に入れ替わる作品なので、緻密な考証を求める方・明らかな矛盾が気になる方には少し不向きかもしれません。

 

このドラマ内でのアンは、処刑に近づくにつれ、序盤にはなかった気品が増し、最後は崇高ささえ感じさせてとても美しいです。

 

また、密通や近親相姦に関しては無実の冤罪として描かれています。

 

ヘンリー8世がリュートを弾きながら『グリーンスリーブス』を作曲するシーンもあります。

オペラ「アンナ・ボレーナ」(1830年初演:マリア・カラス他)

イタリアの作曲家・ドニゼッティの出世作の一つとされています。

 

タイトルの「アンナ・ボレーナ」は、アン・ブーリンのイタリア読みで、登場人物名がヘンリー→エンリコ、ジェーン→ジョヴァンナのように全てイタリア風に変換されています。

 

物語開始時にアンナ(アン)は既に寵愛を失っており、国王の身勝手の犠牲となる悲劇のヒロインとして描かれています。

 

アンナのかつての恋人・ペルシー(パーシー)卿や、楽師のスメトン(スミートン)が重要な役割を果たしたり(どちらとも不義密通はありません)、王を寝取ったジョヴァンナ(ジェーン)がアンへ良心の呵責を強く抱いていたりと、独自の設定と味わいがあります。

 

処刑が迫ったアンナは恐怖のあまり狂気に至り、そのままならいっそ楽に死ねたのに、時折正気に戻るのがとても不憫です。

 

ドニゼッティには他にも『マリーア・ストゥアルダ』(=メアリ・スチュアート)、『ロベルト・デヴリュー』(=ロバート・ダドリー)とテューダー朝題材の作品があり、本作と合わせて「女王三部作」と呼ばれています。

小説→ドラマ「ウルフ・ホール」(2015年:クレア・フォイ)

こちらはクロムウェルが主人公で、その生涯と、彼の視点からヘンリー8世宮廷の人間模様や社会を描いています。

 

原作はヒラリー・マンテルの小説(ブッカー賞受賞作)で、表題作に「罪人を召し出せ」「鏡と光」をプラスした三部作です。ドラマは全6話構成で、続編(全6話予定)の製作も決定しています。

 

作中のクロムウェルはけっこうモテており、メアリ・ブーリンからモーションをかけられたり、ジェーン・シーモアに密かな想いを寄せたりしています(基本的にこのドラマでクロムウェルが好感を抱く女性はたいてい王に持って行かれます)。

 

タイトルの『ウルフ・ホール』は、シーモア家邸宅の異名です。また、弱肉強食と近親婚が渦巻く当時の宮廷や貴族社会を象徴したタイトルでもあるとのこと。

 

最後までご覧いただきありがとうございます。『セシルの女王』でアン・ブーリンのファンになった方、あるいはこれから読む方に、彼女の背景や魅力を深く知っていただけたのであれば幸いです。

 

アンの忘れ形見であるエリザベスの今後も楽しみに読んでいきたいですね。

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