青木真也の経歴や貯蓄額は?仮想通貨で爆損でザコシが従兄弟?バカサバイバー青木真也の経歴、生い立ちを徹底紹介!

ONE Championship

 

「空気を読んではいけない」

そう語り、

同調圧力を良しとする現代社会で、それに一石を投じる格闘家がいます。

 

 

日本総合格闘技界を牽引し続ける青木真也選手です。

 

 

空気を読まない言動から青木真也選手は様々な問題を起こしています。

 

 

それゆえにアンチ青木が多いのも事実です。

 

 

そんな青木選手の幼少期のエピソードから格闘家としての経歴、

また倹約家としても知られる青木選手のお金に関するエピソードも書いていきたいと思います。

 

 

物議を醸した廣田瑞人戦長島☆自演乙戦についても触れていこうと思います。

青木真也の経歴

青木真也のプロフィール

名前青木真也
生年月日1983年5月9日(35歳)
出身静岡県静岡市
身長180cm
階級ライト級
所属ジムフリー(TRIBE TOKYO MMAやロータス世田谷などで練習している)
バックボーン柔道
戦績44勝8敗1NC
主な獲得タイトル

元修斗ミドル級王者

元DREAMライト級王者

元ONEライト級王者

青木真也の生い立ち かなりの問題児だった青木真也の小学校編 ~格闘技を始めた理由~

青木選手は静岡県の田舎町に生まれます。

 

青木選手が小学校低学年の頃は、いつも落ち着きがなく、

先生の言うことを全く聞きませんでした。

そんな青木選手に呆れた先生が「もう帰れ!!!」と怒ると

本当に帰ってしまうような子供だったそう。

また周りの子よりも力が強く、喧嘩三昧の日々。

それゆえ、友達はいなく孤独だったと言います。

 

問題児だった青木選手は、先生に何回も母親を呼ばれ、母親は青木選手を怒る事の繰り返し。

学校からの呼び出しに辟易した母親は、

「次、学校から呼び出されたら行きたくない」と言い、

青木選手の父親に白羽の矢が立ちました。

案の定、青木選手が問題を起こし父親が呼ばれます。

 

学校から帰ってきた父親に咎められる事を覚悟していた青木選手ですが、

一向に怒るそぶりを見せなかったそう。

後から知ったそうですが、頑固者の父親は何回も呼び出す先生方に

「子供一人言うことを聞かせられないあんたらの器が小さいんだろ!!」

と逆に先生方を叱ったそうですw

青木選手は自分自身の空気を読めない性格は父親譲りだと言っています。

私自身もしょっちゅう学校に両親を呼ばれていたので、こんな父親だったら良かったのになんて思ってしまいました(笑)

 

テレビで見たプロレスの試合を見て格闘技に興味を持ち、小学3年生の時に柔道を始めます。

中学は柔道の強豪校である東海大学付属静岡翔洋高等学校・中等部に進学します。

補欠だった中学柔道部時代 努力を惜しまなかった青木真也の中学校編

中学柔道に所属していた青木選手ですがレギュラーではありませんでした。

いわゆる補欠です。

 

身長も小さく、才能も『平凡』そのものだった青木選手。

柔道部の顧問からも「お前はセンスがない」「お前には団体戦で期待していない」

などの辛辣な言葉を言われていたそう。

 

悔しい思いをした青木選手ですが、考えることをやめませんでした。

「どうしたらレギュラーになれるのか?」「レギュラーと自分との差は何なのか?」

答えは簡単で、能力がレギュラー選手よりも劣っているから。

 

「他の部員と仲良く群れていたら絶対レギュラーになんてなれない!」

「それなら練習量を増やして差を付けよう!」

そう考え、部活動の他に柔道のクラブチームに通うようになりました。

ただでさえ、勉学と部活動で疲れているのにレギュラーに絶対になる!事を原動力に変え、ひたむき練習を続けます。

 

また格闘技雑誌を読み漁り、柔道では普段使わないような関節技の勉強も始めました。

青木選手の柔道スタイルは1本を狙いに行くのではなく関節技を取りにいくスタイル。

 

そのスタイルを極めた結果、

レギュラーの座を奪い取ることに成功します

 

この教訓から、才能や身体能力よりも継続することの大切さ、諦めない大切さを学んだと言います。

 

今でこそ寝技の天才と言われる青木選手ですが、その裏には、強くなるためのひたむきな努力を続けていたのですね。

私も見習いたいものです!

 

青木選手の活躍ぶりに手のひらを返したような態度と取る顧問のコーチ。

「青木は日本代表になるかもしれない、高校でも一緒にやろう!」

青木選手は中高一貫であったので、エスカレーター方式で高校へ上がれば、

かつて青木選手を罵った顧問のコーチが指導することになります。

そんな手のひらを返してきた顧問の先生に「ふざけんな!」と思い、

ライバル校である静岡学園高校へ進学します。

批判される青木真也の柔道スタイル 高校柔道編

青木選手の柔道は、他の選手とスタイルが異なります。

一般的に柔道は、「背負い投げ」「内股」「大外刈り」を得意技にしなければならないという暗黙の了解がある世界。

そんな柔道界で、いきなり関節技を狙いにいく青木選手のスタイルは異端的で、認めない人が多かったそう。

批判も多かったのですが、青木選手は自分のスタイルを曲げることなく、貫き通します。

青木選手の本のタイトルでもあるように

「空気を読みませんでした」

 

その結果、数多くの大会で優勝するなどの好成績を残します。

個人的には何も反則をしているわけではないので、

いきなり関節技を狙うスタイルは斬新でいいと思うのですが、

正統派柔道を好む柔道関係者は好まなかったそうです

また罵詈雑言を浴びせられたこともあったとか。。。

 

それでも自分のスタイルを貫く精神的な強さは、さすがです!!

 

高校卒業後は、スポーツ推薦で早稲田大学に進学します。

柔道部から解雇 総合格闘技に挑戦 青木真也の大学編

スポーツ推薦で早稲田大学へ進学したものの、

青木選手の関節狙いの柔道スタイルは受け入れられず、徐々に先輩や監督との関係に軋轢が入ります。

 

「俺はもうスタイルが出来上がっている。俺より弱い奴らが俺に指図するな」

 

そんな態度を取る青木選手に先輩も圧力をかけます。

それに負けじと畳の上では容赦なく、先輩をねじ伏せる日々。

先輩との衝突が絶え間なく続きました。

 

そんなある日、事件が起きます。

青木選手が練習中に先輩を絞め落としてしまったのです。

 

その後、監督に呼び出され、

「そういうことするなら明日から来るな」

と言われ、事実上、柔道部をクビになってしまいます。

 

「オリンピック選手には、なれないな」

そう思っていた矢先の出来事だったので潔く諦められたそうです。

 

柔道部を辞めた時には、大学の単位もほとんど取り終えていたので、

かねてから始めたかった総合格闘技に挑戦することにします。

“グレイシーハンター”として活躍していた桜庭和志選手に憧れていた事がきっかけだそうです。

憧れていた桜庭和志選手とは、後にRIZINで対戦することになります

 

青木選手は大学3年生の時に総合格闘家としてデビューを飾ります。

青木真也プロでの実績

青木選手は修斗という格闘技団体で試合をしていたのですが、

デビュー当時のファイトマネーは、たったの5万円

その後、修斗ミドル級王者になりますが、

王者としてのファイトマネーも20万円程度。

仮に1年で4試合したとしても100万円程度にしかなりません。

「これでは社会人として生活することはできない」

と思った青木選手は、警察官という安定した職業につきます。

 

当時、PRIDEというメジャー格闘技団体の勢いがすさまじく、

そのPRIDEからの好待遇のオファーがあったことで、

警察官を辞め、総合格闘技で食べていくことを決断します。

 

PRIDEでは4試合をし、寝技師の異名通り、

すべて関節技で1本勝利を収めます。

 

順風満帆な格闘技人生を送れるかと思いきや、そうではありませんでした。

これから主戦場で戦うと思っていたPRIDEが消滅してしまいます。

(UFCに買収された)

この時の事を青木選手は

バブル期の恩恵をほとんど受けられなかった。時代に恵まれていなかった。

と語っています。

 

PRIDE消滅後、DREAMというメジャー団体が設立され、

青木選手はDREAMを主戦場に試合を行います。

DREAMではライト級王者なるなど、無類の強さを誇ります

 

その後、DREAMは倒産してしまいますが、

ONE Championshipから破格のオファーを受け、ONEと契約することを決めます。

ちなみに、破格のオファーですが、UFCからのファイトマネー提示金額の2~3倍あったそうです。

 

2012年にONEでデビューを飾り勝利。

ONE2戦目ではタイトル戦の挑戦者に抜擢され、

朴光哲選手と対戦し1本勝ちを収め、ONEライト級王者に輝きます。

3度目の防衛戦でフィリピンンのエドゥアルド・フォラヤンに敗れタイトルを失ってしまいますが、2019年3月のONE日本大会で再戦する予定です。

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↑エドゥアルド・フォラヤン選手のプロフィールです!

腕を折り、中指を立てた廣田瑞人戦

2009年の大晦日には青木選手が所属しているDREAMと戦極という団体が対抗戦を行います。

青木選手はDREAMの大将戦と称され、戦極の廣田瑞人選手と対戦します。

 

結果は青木選手が1ラウンドでアームロックを極め勝利しています。

この試合でアームロックを極められた廣田選手は腕を折ってしまいます。

これは、真剣勝負の格闘技の世界なので仕様がないことです。

 

ですが、試合後、倒れこんでいる廣田選手に対して

青木選手が舌を出し中指を立て、勝利したにも関わらず挑発を続けます。

 

大晦日の生中継という事もあり、テレビ放送でカットすることが出来ず、

世間からかなりのバッシングを受けました。

青木選手のスポンサーも、この愚行の影響で離れて行ったという噂も聞きます。

 

青木選手が書いた「空気を読んではいけない」では、

この出来事について書いてあります。

 

簡単に言うと試合後は感覚が麻痺してしまうようです。

今となっては愚行であったと反省しているそうです。

ほぼ反則?魔裟斗も歓喜した長島☆自演乙戦

青木選手が一番印象に残っている試合に長島☆自演乙戦をあげています。

これは2010年の大晦日に行われた異種格闘技戦です。

 

総合格闘家である青木選手とキックボクサーである長島選手が

1ラウンドに長島選手の土俵でるキックボクシングルール、

2ラウンドに青木選手の土俵である総合格闘技ルールで戦うというのも。

 

青木選手は1ラウンドのキックルールでは相手に分があると思い、クリンチを多用したり、

ドロップキックをしてそのまま倒れこみ、反則すれすれのあからさまな時間稼ぎをしました。

 

そんな卑怯な行為にファンからもブーイングが入り、

解説席の魔裟斗さんも、

こんな卑怯な事をするなら、キックの試合を受けるな

と青木選手に対して憤りを露わにしていました。

 

結局、1ラウンドを無傷で乗り切り、

むかえた、総合格闘技ルールの最終ラウンド。

青木選手がいきなりタックルを狙いに行くと、

そのタックルに長島選手が膝蹴りをカウンターで合わせ青木選手は失神KO負けを喫してしまいます。

 

解説席の魔裟斗さんを含む観戦者はスタンディングオベーション。

 

この敗戦で青木選手は1年間ほど、悔しい思いをしたそうです。

でも今となっては、

「格闘技を知らない人にも知ってもらえるようになった」

と前向きにとらえ、あの試合を青木真也の代表作と語っています。

気になる方はyoutubeで見てみて下さい(笑)

殺人容疑で服役中の山本勇気との対戦 試合後は乱闘寸前?

突然ですが山本勇気という元格闘家を知っているでしょうか?

少し前にニュースにもなっていますが、

2017年に知人の男性に暴行を加え、死亡させてしまい、現在服役中の元格闘家です。

 

実はこの元格闘家の山本勇気とかつて対戦し、勝利しています。

勝利後、

倒れている山本選手に青木選手が中指を立て、山本選手は激怒。

あわや乱闘寸前でした。

 

youtubeに当時の試合映像が残っていたので載せておきます。

 

ちなみに山本勇気被告は懲役5年を言い渡されたそうです。

人を殺して5年は短すぎますね。過失致死なんですかね?

しっかり罪を償って出てきてほしいです。

かなりの倹約家、青木真也が仮想通貨で爆損?!ビットコイン?貯蓄額はいくら?年収はいくら?

青木選手は数々の団体でチャンピオンになり、

今でも大きな格闘技団体で主要選手として活躍している事から、

かなり稼いで豪遊しているのではないか?

と思うかもしれませんが、実は青木選手、

かなりの倹約家としても有名なんです。

 

青木選手は、お金に関してシビアで、

格闘技のビックマッチで大金を手にしても豪遊したり高価な物は一切買いません。

車も維持費がかかると言って持たないし、

趣味のサウナには必ずタオルを持参し、「手ぶらセット」なんて言語道断。

クーポンがあれば、わざわざそれを使うといった、

豪快な格闘家という世間一般的なイメージからは、

かけ離れるほど、お金の使い方には庶民感覚を忘れないようにしているそう。

 

格闘家という職業は短命で、いつ怪我で試合が出来なくなるのか分かりません。

その時の保険としてファイトマネーを貯蓄しているそう。

2015年には、青木選手が亡くなっても残された妻と3人の子供が不自由なく生活できるくらいの金額が貯まったと公言しています。

 

子供一人育てるのに約3000万円ほどかかると言われています。

そう考え、概算して予想を立ててみると、

3000万円×子供3人=9000万円

奥さんの分は2000万円として計算すると、

軽く1億円は超えますね。

僕の勝手な見立てだと2億円以上稼いでいると思います!w

青木選手は格闘技意外に自身の本を出版したり、テレビ出演やサロン運営などもしています。

フォロワーも3万6千人と多くの支持者を抱えている事からインフルエンサーとしても活躍しています。

そんなこんなで2億円と予想しましたw

 

そんな倹約家の青木選手ですが、2018年に仮想通貨で爆損してしまったそうです・・・

その金額はなんと数千万円だとか!

数千万円なら1000~9000万円と幅が広いですね。

いったいいくらなのでしょうか? 😥 

 

2014年以降、毎年1試合、多くても2試合のペースでしか試合を行わなかった青木選手ですが、

2018年はMMAが3試合グラップリングが1試合仮想通貨の損失分を埋め合わせるため、1年に4試合も行いました

 

2019年3月に開催されるONE Championship日本大会にも出場する予定です。

よほど損が大きかったのでしょう、必死に試合をこなしています。

 

ちなみに仮想通貨で損した分を取り戻そうと為替に手を出し、

運悪くトルコリラ大暴落時に為替取引を行ったため、強制ロスカットされてしまったそうです。

妻子持ちなので、株や為替は、ほどほどにした方がいいですね。

余計なお世話かもしれませんがw

意外すぎるハリウッドザコシショウは青木真也の従兄弟だった?

まじっぽいですw

最近まで知りませんでしたw

この会話を見る限り、従兄弟同士ですけど、疎遠だったようです。

2013年時点での会話ですので、ハリウッドザコシショウさんがR-1グランプリで優勝する前ですね。

ザコシショウさんがR-1グランプリで優勝するのが2016年ですので。

 

ちなみにこの頃、青木選手はザコシショウさんの事を

「つまらない人」と言っていますw

正直ですね(笑)

ザコシショウさんの本名は中澤なので、青木選手の母方の従兄弟にあたるのでしょう。

こんなパンチの効いた二人が従兄弟だなんて、

ある意味、納得出来てしまいます(笑)

その後、何か交流はあったのでしょうか?

私、気になります!!!(千反田える風w)←知らない方すみませんw

まとめ

青木選手にはアンチファンが多いのも事実ですが、

根強いファンが多いのも事実。

過去には、世間を騒がせる試合をしていますが、

それも青木選手の魅力なのでしょう。

 

いま、世界で戦える日本人総合格闘家は少ないのが現実です。

青木選手は、そんな世界で戦える数少ない日本人ファイターです。

 

もう一度ONEのベルトを獲得してほしいですね!

また2019年にはONEライト級グランプリが開催されます。

元UFC王者であり元ベラトート王者であるエディ・アルバレスがONEに電撃移籍しました。

青木選手はエディ・アルバレスと過去対戦していて、

戦績は1勝1敗です。

もしかするとエディ・アルバレスとの3度目の決着戦が見れるのかもしれません!

楽しみです 🙂 

以上、青木真也選手の紹介記事でした。

※桜井マッハ選手とは痴話げんかが多いですが、仲良しです!(笑)

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